目次
まえがき 松本人志は「明日は我が身」である
【第1章】 松本人志は有罪なのか?
〜性加害疑惑報道と裁判のゆくえ
●村西とおる[AV監督]
週刊文春の 「名誉毀損ビジネス」を 糾弾する
●�コ永信一[弁護士]
松本人志が訴えた 名誉毀損訴訟の意義とは。
裁判はどうなるのか?
●茂木健一郎[脳科学者]
松本さんは「何者でも なかった自分」に戻れるか。
そう、たけしさんのように。
●宝泉薫[作家、芸能評論家]
「俺の子供を産めや」が もし事実だとしても、
発言自体は 全然「不適切」ではない理由
●霜月るな[セクシー女優]
あの時の飲み会に参加していた私。
だからこそ話せる「松ちゃんの本当の姿」とは
◎私にとって松本人志とは Part❶
我が人生の「個人的松本人志体験」
【第2章】
松本人志を社会的に 抹殺したのは誰か?
〜「過剰バッシング」に走る世論の暴走
●仲正昌樹[哲学者]
著名人を引きずり下ろす快感。
それに酔いしれる人たちと 「先走る世論」
●山口恵以子[作家]
「週刊誌に言いつけてやる」
そんな社会で良いのか?
●浅野健一[ジャーナリスト、元同志社大学大学院教授]
「事実無根の捏造記事」で 文藝春秋に
名誉毀損訴訟で勝った私からの警告
●コヤチ[競馬評論家]
結託して松本さんを苦しめた週刊誌、
ワイドショー、コメンテーター、
アンチに謝罪と訂正を求める!
◎私にとって松本人志とは Part❷
我が人生の「個人的松本人志体験」
【第3章】
マスコミの偏向報道と 内部告発
テレビ局の報道規制はまるでナチスの監視
●窪田順生[ノンフィクション作家]
「松本氏性加害疑惑」は
「ロス疑惑」と同じ道を 辿るのか?
●鎮目博道[TVプロデューサー、ライター]
「誰が松ちゃんを テレビから消したのか?」
放送事業の破滅的構造問題
●在京テレビ局制作局員【匿名】
まるでナチスの監視「松本問題に触れてはいけない」
在京テレビ局員の内部告発!
◎私にとって松本人志とは Part❸
我が人生の「個人的松本人志体験」
【第4章
松本人志を命懸けで守る理由
〜義を見てせざるは勇なきなり
●高須克弥[美容外科医、僧侶、篤志家]
孤立無援でいじめられている人を黙って見過ごすことは
絶対したくない。それが僕のポリシー
◎私にとって松本人志とは Part❸
我が人生の「個人的松本人志体験」
[付録]松本人志 お笑い芸人としての軌跡
貴重な写真で振り返るエピソード&バイ0オグラフィー
とうとう出たね。。。
松本人志は「明日は我が身」である
「松本人志問題」とは何なのか?
その本質とは? 「文春との裁判のゆくえ」とは?
有識者の寄稿から、考察したのが本書だ。
週刊文春の報道に端を発した松本人志の性加害疑惑。未だ事実認定はなされていない。 にもかかわらず、松本人志は突然テレビから消えてしまった。一度疑いをかけられたり、ネガティブなイメージを持たれたりすると、即座に表舞台から消されてしまう。これが昨今の風潮である。
週刊誌やテレビでは「強者」としての松本人志を、まるで性加害事件を起こした張本人であるかのように報道していたのは事実だ。
しかし、週刊誌に書かれた被害女性の告発内容が事実なのかどうかをメディアは自ら検証していくべきではなかったか。
どのメディアも「松本問題」について独自に徹底検証しようとする姿勢は見られなかった。いまだに行なわれている気配もない。「松本は性加害者だという事実認定がすでになされたこと」として話題にされ、その上で��性加害問題〞について同時に議論が進められていく。これは異常な事態である。
あれだけ多くの番組に出演させ、チヤホヤしていたメディアは松本問題について触れないように現場に箝口令を敷いているという。すでにタブーなのだ。
一方、松本人志はどうなったか?
「性加害疑惑者」として地上波の出演はもとより、あらゆる仕事の機会を奪われ、いまだに誹謗中傷が止まらない事態が続いている。「強者」とされた人間が一転して「弱者」となり、いまだに叩かれ続けているのである。
今回の「松本問題」が明らかにしたのは、疑惑をかけられた人間が瞬時に社会的に抹殺されてしまうという事実であり、恐怖である。有名人に限らず気に入らない人間を引きずり下ろし、二度と浮かばれないように虐め続けるのが今のネット社会の実相だということ。それが一般大衆の本質であるということを露わにした。ネットリンチ社会の凄惨な様子はSNSでは日常の風景になってしまった。
松本問題は、一芸能人のスキャンダルとして片付けられない恐ろしい問題なのである。
この異常事態に慣れてしまった社会とはどういう社会なのか?
今後どうなっていくのか?
ポリコレから始まるSNS大衆による過剰バッシング、社会の忖度化・萎縮化が加速する中、今後自由に発言し、ものを作ることはできるのか?
お笑い・芸能はこれからも存在していけるのか?
「松本問題」をきっかけに考えてみたい。
議論の前提として、「性加害」という重大な事件が数多く存在し、また見過ごされてもきていたことは認識すべきことである。したがって、性加害問題を矮小化するつもりは決してない。それは断言しておく。
疑惑告発から社会的抹殺の社会へ……「明日は我が身」である。